顧客との価格交渉① 交渉にどう臨むか?
営業マンでどうしても避けられないのが、『お客様との価格交渉』
自動車メーカーに部品を売っている以上、
お客様からは
『なんでこの値段なんだ?』
『もっと下がらないのか?』
『他社より高い』
と言われるのはざらです。
若手の営業マンとかは、この価格交渉が嫌だと言う人が多いと思います。
私も嫌でした。いまでも得意ではないですが。
価格交渉において、必要なことは、私はこれだと思っています。
それはとにかく『自社の製品のことをよく知ること』
自分の会社で使っているものなんだから、知っているだろうと思われる人が多いかと思いますが、私が知る限り、意外と知らない、把握できていないというのが、10年以上営業していて、感じている感覚です。
『自社の製品のことをよく知ること』とはどういうことか?
次の記事で続きを書きます
製造業の営業の仕事のやり方 ~小規模から大企業まで経験して思うこと~
このブログを始めたときに申し上げている通り、私は現在3社目の会社に
勤務しております。
1社目の会社の年間売上が「数百億円」、2社目が「数千億円」、
3社目も数千億円(1兆円はいかない)という規模の会社で勤務しております。
会社規模が大きければいい会社とは思いませんが、
3社を経験して思うことは、「会社規模が大きいほどいろいろな人と関わり、
大きなプロジェクトを推進していく」という経験ができるメリットがあります。
1社目の時には、すでに市場に出ているカタログ品を売り込むというのが、
メインの仕事で、数百万円~一千万円規模のビジネスでも大きく、
工場の人などとの関わりも少なからずありましたが、比較的 単独で動いて、
ビジネスを動かすというスタイルでした。
そして、基本的に外回りが多く、事務所で仕事していると、
「なにしているんだ、お客さんのところに行ってこい!」 とよく言われました。
2社目では、既存品を売るのではなく、都度 新たな製品を開発していく、数十億円規模のビジネスに携わるようになりました。
外出し、お客様との打合せする場合も当然あります。
それ以上に「プロジェクト」を進めるために、社内部署との調整の打合せが多く、ずっと外回りしていた1社目とのギャップから
「こんなに会社にいていいのかな?社内の会議多いな。お客さんのところに行かなくていいのかな?」
という思いがありました。
同じ製造業でも製品によって、仕事の進め方の違いを大きく感じました。
1社目の在籍時に、数年の業務を経験する中で、「会社ってこうやって動くのか」というイメージが自然と芽生えるのですが、2社目で改めて会社ごとで進め方や考え方がこんなに違うのか、と衝撃を覚えました。
繰り返しますが、規模が大きい会社・売上金額が多い会社は取り扱う商材の規模が
大きいことが多いと思います。
高価格の商材を取り扱うと、社内のいろんな人を巻き込み、顧客と調整して
一つのプロジェクトをやり遂げるという経験が詰めます。
製造業で大きなプロジェクトをやり遂げる経験を積みたい方は、
「売上金額の大きい会社→数千億円規模」の会社のほうがチャンスは多いと思います。
逆に、「ずっと外にいたい」「お客様と商談したい」という人は、
数百億円規模だったり、カタログ製品を販売する会社のほうが
よいかなと思います。
製造業の営業でも営業スタイル/仕事のやり方が異なるので、
自分のやりたいこと/あっていることに合わせて、会社を選んだほうがいいと思います。
私は、新卒時は仕事のスタイルまで全く考えず(というよりイメージがつかなかった)、外回りの多い営業スタイルの会社にいましたが、2社目の経験を通じ
「プロジェクトを動かす」仕事があっているということがわかりました。
2社目の経験から、3社目も同様な仕事をできることを重点にエントリーし、
現在、イメージ通りに業務をしております。
会社を選ぶ際は、「仕事のスタイル」もイメージしながら、会社を探したほうがいいと
思います。
投資について(給与以外の所得が欲しい)
皆様は投資は何をされてますでしょうか?
私は約半年くらいから、急に将来のお金について心配になってきました
理由としては
①まだマイホームがないが、いつか手に入れることができるのか
(転勤族のため、会社借り上げの家に住めているが、ずっとは続かない)
②子供の将来の学費は負担できるのか。また妻は2人目を欲しがっている!
③いまいる会社も、30年後先に残っているのか?
(私の社会人なりたての時に、シャ〇プや〇芝などの大企業が現在のようになるとは夢にもおもわなかった)
④いつかBMWに乗りたい 笑
などなど、20代また独り身の時には考えていなかった悩みが増えてきました
(ちゃんと将来のことを考えている若い人もいるでしょうが、
少なくとも私はあんまりかんがえていなかったです)
上記の理由から、仕事に尽力するのはもちろんのこと、今持っている自分のお金にも
働いてもらう=投資する ことをきちんと勉強していきたいと思います
ちなみにいま私がもっている金融商品は
① 個人年金 (社会人2年目の時になんとなくはいっていたもの。今考えるととてもラッキーなくらいいい利率)
現在の会社はないため、移管のために加入)
③ 持ち株会 (現在の会社+2社目時でまだ売却していないもの)
④ 株 (へそくりで数万円レベルでこそこそ売買しているもの)
といった感じです。
毎月、3万円くらい?をそれぞれの金融商品に回していますが、これといって目標をもって運用をしているわけではありません
しかし、きちんと投資を勉強して、今の悩みを解消したり、もっとお金を使えるようになりたいと考えてます
学んだことや、新たに始めた投資などについても書いていきたいと思います!
私のキャリア ~1社目について④~
いきなり営業業務を開始した私。
営業業務開始にあたり、先輩社員の上司がつきました。
当時の職場は17人ほどの部署でしたが、所長・係長以外は各個人で仕事をしており、
チーム制などの組織はありませんでした
10年以上営業経験がある人ばかりだったので、ある程度個人商店になっていても
仕事がまわっていたのだと思います
しかし、やはり弊害があったようで、所長・係長への負担が大きく、
地域やお客様のジャンルにわけ、3つのチームが作られることになりました。
私の営業業務が始まる同時のタイミングで、チームが発足しその一つのチームに
配属されることになりました
チーム長になったのは当時34歳くらいの先輩社員。ちょうど今の私と同じくらいの年代です。
初めて後輩社員を持つということで、意気込みが高かったのを記憶しています
その先輩は、ザ・体育会系で応援団出身。
私も水泳・テニスとスポーツはずっとやっていましたが、体育会系はあまりすきではありません 笑
その先輩から受けた初めての業務指示はいまでも鮮明に覚えています
「ある展示会で、自社のブースに来られ、名刺を置いて行った某大手メーカーの設計の管理職に、挨拶して何をやっているかヒアリングしてこい」
とんでもない無茶ぶりです 笑
前の記事の通り、私自身が全体の仕事の流れがまったくつかめず、
毎日振られた雑用をこなしてきた日々。
製品知識もなければ、名刺の渡し方もままなりません
そもそもそのお客様の会社に行ったこともない
(メーカーの設計がいる工場などは敷地も広いところが多く、その人がいる建屋にたどり着くのも至難の業)
いきなりの業務がわけもわからない指令で、超困惑
同じような立場になった今の私は、絶対に同じような支持をしません!
メーカーの営業は、販売する「製品知識」以外にも、お客様からの注文、工場へ手配、納入の調整、不具合があった時の対応など、業務範囲としてはだいぶ幅広いものです。
(メーカーでも商材や会社毎により異なるます)
よって、お客様の付き合う部署 また 社内もかかわりをもつ部署が大変広いです
電子部品のメーカーで5年働いた経験でいうと、全体の流れ をつかむには
2~3年はかかるのでは?と考えてます
とにかくなんでも、時間の経過とともに、覚えて一人前になるという
考え方もあるかもしれませんが、体系的に学ばないと、仕事の全体の流れが理解
できず、新入社員・先輩社員ともに時間もかかり、お互いにストレスを感じてきます
10年以上社会人経験を積んだいま、当時のことを振り返ると、
やはり新入社員の配属は、定期的に受け入れている部署に配属してあげないと、
新入社員本人や受け入れる側もお互いに苦労・ストレスを感じ、また効率的な人材育成にはつながらない というのが持論です
先の話ですが、次の年から毎年のように新入社員が配属され、
新入社員を受け入れる免疫・ノウハウが蓄積され、教育センターのような
部署になっていったのが皮肉です 笑
私のキャリア ~1社目について③~
複数の家をみて、会社契約でワンルームを借りた私。
学生時代から一人暮らしをしていたため、生活するのになにが必要かは
一通りイメージはついていたので、暮らしの面では不安はなし
家の周りも、コンビニ・スーパー・食事をするところはいたるところにあったので
独身の生活をするにはとても便利でした
入社~全体研修~引っ越しというあっという間の1か月がすぎ
ゴールデンウィーク明けに職場での生活が開始しました
職場では、入社間もない新入社員を受け入れるのが10年ぶり?くらいの部署でした
昼休憩の時は「学生時代はなにしてたの?」とかプライベートの話とかが
できるのですが、教育の計画もあまりなく(ある程度の時間割等はきまっていたようなきもする)、「これやってみる?」といった形で、先輩方がこれなら振れそう という
細かな雑務を少しずつこなす感じでした
2か月くらい、そんな日々が続き、与えられた仕事のつながりもわからず、
何のためにこの業務をしているかを理解できないまま 日々を過ごしてました
私には営業の同期がもう一人おり、その子は東京の営業本部に配属されていました。
その部署は定期的に新入社員を受け入れており、年齢の違い先輩に教わりながら
7月くらいの時点で顧客訪問もし始めているという話も聞きました。
同期の情報も直接また間接的に私に届く中、同じ時期、同じ営業という
職種で入ったのに、配属先でこんなに環境が異なるんだと感じるとともに、
焦りや悩みがでてきます
8月になると、当時の上長が私の同期の話を聞き、急に営業担当の業務をするよう
指示を私にしてきました
おそらく自分の部署での教育に遅れが出ていると思って対応したのではと思います
全体の流れがつかめず、困っている中、急に「営業マン」として仕事をすることを
命じられました。
ここから約2年間、地獄の日々が始まります 笑
私のキャリア ~1社目について②~
4月1日の入社式を終え、本社地区での3週間の研修を終えた私は、
初任地である大阪に向かいます。
東海道新幹線も学生時代に1~2回くらいしか乗ったことがなく、
新幹線になるだけで緊張。。。
新大阪駅では、勤務先の方が迎えてくれるということで
無事に合流することできることと、どんな人たちと働くんだろうということばかり気にしていた気がします。
新大阪駅で無事会社の人と合流し、日曜日だったにもかかわらず、
食事に連れて行っていただき、ホテルに泊まりました。
次の日には、勤務先へ初出勤し、まずは家探しから始めることからスタートです。
初出勤し、勤務先の方と一通りご挨拶をし、先輩一人に付き添ってもらい
近所の不動産屋さんへ直行し、家探しをスタートです。
20名弱の職場でしたが、なんだか個性の強そうな人が多そうだ 苦笑
人生初の関西での生活がスタートします
私のキャリア ~1社目について①~
2009年4月、私は部品メーカーで働き始めます。
学生生活が終わり、初めて社会人生活を送るだけで緊張している私に、
いきなり試練が始まります。
なにが試練かというと、赴任地がいきなり関西になったのです。
それも入社日 3日前に、人事からのいきなりの電話で告知。。。
元々、都内の大学に通っていた私は、可能であれば東京がいいけど、
独身で若いうちは、いろんな土地を経験するのもありだな、と思ってました。
ただ、就職を決めた会社からは、東京には独身寮があり、入寮申請を書いてと言われていたので、すっかり東京勤務の心構えでいました。
(東京以外は会社負担で賃貸だったので、寮は東京にしかない)
そして、入社日が近づくにあたり、学生時代に住んでいた下宿から引っ越しをするため、いつになったら寮に入れるか、何度か人事に問い合わせをしていたのです。
入社3日前だなんて、学生最後で一番ブルーな時に、いきなりの遠隔地勤務の通告。
しかも関西は、小学生の頃に家族旅行で行ったきり、縁もゆかりもなし!
落ち込んだ気持ちで、私は入社式へ向かいます。。。